Баста : Basta

Basta

Rapper / singer from Rostov on Don, Russia. 

He is also know as NogganoNintendo.

In the childhood, he loved listen to any genre of music and started to write songs when he was 15 years old. In 1997, he joined United Kasta (it was originally part of Kasta) in the name of Basta Hryu. His first big hit “My Game” came in 1998, and the song attracted much attention. In 2004, he has moved to Moscow and got to know Guf and they re-recordedMy Game together. In 2009, Basta began recording album with Guf. Their collaborative album “Basta/Guf 2010″ was released in November 2010. Basta is not only a popular rapper but also a great singer. That’s a one of the reasons, that he can collaborate with any kind of musicians at will.

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ロシアのヒップホップにおいて、とても大きな役割を担い続けている重鎮。スタイルはギャングスタラップ系からバラードまで幅広い。自ら主催するレーベルGazgolderには、今まさに活躍するアーティストが多く所属している。本名ヴァシーリィ・ミハイロヴィチ・ヴァクレンコ。1980年4月20日 ロシア南部の街ロストフ・ナ・ドヌの軍人の家庭に生まれ育つ。家族の思い出として、悩める十代の頃、自らの祖母に「今は悩んだりフラフラしたりしているけど、全ては大人になった時きっと役に立つから」という言葉をもらった、と話している。15歳の時に初めてラップを書き、最初のグループを組む。もともと様々な音楽を聴いていたが、やはりその傾向はヒップホップに。Basta hryu名義でソロ活動を開始し、1997年に地元のヒップホップ・ユニットPsycholyricにゲスト参加するなど、ロストフ・ナ・ドヌのラップ・シーンで目立つ存在となる(Psycholyricはその後ロシア国外でも人気を得ることになるユニットКаста(Kasta)の前身)。この頃すでに、メロディアスで詩的要素の強い作品を作り始めている。その翌年、18歳の時に「моя игра (My Game)」を発表し、地元のスポーツイベントでパフォーマンスをする。この曲は初期の彼の代表作となった。これにより自信を得たBastaは、より意欲的に活動をしていく。この頃(1990年代後期)はロシアのヒップホップが盛んになり始めた時でもあった。ラップユニットが多い中、ソロのBastaは他のアーティストとコラボレーション曲も多数発表する。その後、自分の音楽を見直すため、と一時活動を休止するが、2002年に友人が彼のためにコンピュータやレコーディングシステムを設置。それを機にBastaは過去の作品をもう一度見直し、新作も作り始める。2004年にモスクワへ移り、その2年後にデビューアルバム「Basta1」リリース。「Осень (Autumn)」のPVがテレビでも流される。その後モスクワのラッパーのGufと知り合い意気投合し、「моя игра (my game)」を二人で再レコーディング。グフが率いるユニット ツェントルの楽曲「Город дорог (City of roads)」に参加。

2006年にレーベルGazgolderを設立。2007年には二作目を発表し、更なるヒットとなる。同年にНоггано (Noggano)という名前で新しいプロジェクトを開始。やや感傷的な空気も漂うBastaの作品とは異なる、荒々しさとおふざけ要素が含まれた作風の楽曲を発表している。また、翌年にはN1NT3ND0 (Nintendo) 名義でも活動していて、こちらでは自らをサイバーギャングというキャラクターに仕立て、よりダークかつ多く電子音を取り入れた世界観を作り上げている。なぜ、Nintendoとう名前にしたかというと、日本語の「任天堂」が持つ「自分の役割を果たして、天命を待つ」という意味合いが気に入ったからだ、という。2009年、グフと二人でアルバムの制作に取り組み、2010年秋「”Баста/Гуф (Basta/Guf)」を発表。この頃から徐々にGazgolderにはレーベルの顔となるラッパーたちが揃い始め、2015年にはその内の一人smoky Moとも共同でアルバムを作成。この年には、ロシアのラッパーとしては初めての試みで、オーケストラを率いてモスクワのオリンピック・スタジアムで大掛かりなコンサートを開催した。

*ラップを読みメロディーも歌うバスタは、様々なアーティストと自在にコラボレーションできる、ある意味とても特殊なラッパーと言えるが、一時期活動を休止して考える時間を必要とした理由も、そんな自身の器用さに対する不信感に通じているのではないかと思う。初期の楽曲と最近のものとの違いもそこにあるような気がする。

*お茶が好きで、中国茶の入れ方を紹介するMTVの番組にも出演した。プロモーション・ビデオでもお茶を飲むシーンが出てくる。
『中国茶の淹れ方(ロングバージョン)』『プアール茶と鉄観音茶の淹れ方』

 

● ● ● DISCOGRAPHY ● ● ●

 

Баста 1(Basta 1) : Gazgolder 2006
これ以前にも別名義(Basta Hryuなど)でアルバムは発表していたが、Bastaとしてはこれが一作目。Bastaの出身地ロストフ・ナ・ドヌでは、すでにKastaが活躍していた頃。一時的なブランクを経て、Bastaは2006年に自身のレーベルGazgolderを立ち上げた。そして、間も無くのこの1stアルバムリリースで、楽曲のプロデュースは全て自分が行った。18歳の時に書き上げたBastaの出世作「Моя игра (My game)」も収録。アルバムの中からは、女性ボーカルを取り入れた「Осень (Autumn)」がヒットし、PVも作られテレビでも流された。このアルバム以降、Bastaのソロアルバムは全てナンバリングにより名付けられることになる。

Баста 2(Basta 2) : Gazgolder 2007
1stに比べてサウンド的にも軽快で、土っぽさが抜けたような印象。この当時の風潮に逆らうような、ベタでソフトな音楽スタイルを堂々と示して見せた一枚。ロシアのポップシンガーМакSим(Maksim)とのコラボレーション「Наше лето (Our Summer)」と、ウクライナの歌手Леся Верба(Lesha Velba)とのデュエット「Сон(Dream)」など、前作に引き続き女性ヴォーカルを起用したキャッチャーでロマンチックな曲が特にヒットした。アルバムからはその二曲を含め5曲のためにPVが作成された。また、1stアルバムの中から「Моя игра (My game)」を、Gufとコラボレーションして、新たなアレンジで再録音し収録した。

Баста 3(Basta 3) : Gazgolder 2010
過去最大のヒットになった3rdアルバム。ロシアTop25チャートのインターナショナル部門でトップに輝いた他に、2009にNoggano名義で発表したアルバム共々、Russian Street Awardsを受賞した。内容もバラエティに富んでいて、コラボレーション・アーティストも多彩。新しくGazgolderに加入したばかりの女性シンガーTatiとの共演も二曲収録。「Босанова(Bossa nova)」や、2009年のアクション映画「アンチキラーD.K.」でテーマ曲に採用された「Любовь без памяти(Love without memory)」などのバラード調の曲が、Bastaの新たな一面を示した。

Баста 4(Basta 4) : Gazgolder 2013
Bastaの33歳の誕生日に発表された4作目。N1NT3ND0 (Nintendo) 、Noggano名義でも活躍し続けてきたBastaは、この頃にはすっかり超ベテランの座についていて、新作に対する期待もすさまじかった。長年の友人Gufとの不仲が取りざたされた事もあり、このアルバムへの注目度はなおさら増していた。TatiやSmoky Mo、Rem Diggaなどが主な参加アーティスト。元Bad BalanceのMikeyのカヴァー「Мама(Mama)」も収録。Tatiとの本格的なデュエットが、アルバムに先駆けて発表され注目を集めた。馴染みのあるポップでメロウな要素も残しつつ、全体的にはロック色の強い仕上がりになった。

Баста 5(Basta 5) : Gazgolder 2016
二枚に分けてリリースされた5作目。その理由は「期限内に、すべてをまとめ上げる事ができなかったから」。4作目の延長線上にあるような作風で、当初からのレーベル仲間Smoky Moが、相変わらず参加している他、Crip a crip、KastaのZmey、Karandash、Lionなどの大物たちとのコラボレーション曲「Рэп как шанс(Rap as a chance)」も見所の一つになっている。初めにシングルカットされたのは、「Родина(Home)」という映画のために書き下ろされた「Там, где нас нет(Там, где нас нет(Where we do not exist)」。その後も二曲がシングルとして発売された。

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